2019年に起きたニュージーランドのテロ事件は、50人以上の死者を出すおぞましい銃撃事件だった。そのときの日経の記事がこれだ。

革命はしばしば「輸出」されるものらしい。古くは1848年のフランス二月革命である。君主制を倒して自由を求める動きは欧州諸国へまたたく間に波及し、いわゆる「諸国民の春」をもたらした。活字メディアしかなかった時代だが、思想は国境を軽く越えたのだ。

▼現代史のなかでも同じようなケースが少なくない。1989年の東欧革命しかり、2010年にチュニジアから始まった「アラブの春」しかり。かたやキューバのフィデル・カストロ議長や文革さなかの毛沢東主席、イランのイスラム革命の立役者ホメイニ師など、革命を拡散させそうな指導者が緊張を生んだこともある。

▼革命を唱えながら、もっぱらテロを輸出して回ったのは往年の日本赤軍だ。先週、ニュージーランドで起きた銃乱射事件の容疑者もテロ輸出に躍起だったのだろう。オーストラリア国籍の男は白人至上主義の妄念に憑(つ)かれ、わざわざNZにやって来てモスクを狙った。移民に寛容な、平和な国であえて事を起こしたようだ。

▼反移民の掲示板に心を高ぶらせ、交流サイト(SNS)で襲撃の模様を生中継する――。今回の凶行もネット抜きには語れない。19世紀にも、あるいは壁新聞の時代にも、思想は千里を走った。ましてやこの時代は憎悪さえ、さらなる猛スピードで輸出されるのだろうか。現代史の「冬」に立ち向かう、勇気と知恵がいる。

日本経済新聞 春秋

憎悪の輸出」。日本にも革命を起こそうとするときがあった。詳しくは池上彰さんと佐藤優さんの対談「日本左翼史」シリーズに譲ろう。

このテロ事件のとき、ニュージーランドの首相アーダーンは「銃撃犯の名前は一切口にしないと誓う」と国会で宣言し、事件現場に彼女はムスリムの姿で訪れる。

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なぜ人は憎しみ合うのだろうか?
いや、自分もこの国を愛する日本人だ。誰よりも日本が好きだ。しかしこの国の政治とそれを支持する国民をもう全く信用していない。敵を作ってその敵を罵って支持を獲得する政治を受け入れることはできない。自分の憎悪はこの国の政治、メディアに向けられる。憎悪の国内生産だ。いいかげんに目を覚ましてほしい。昨日みた『アンネ・フランクと旅する日記』もまた憎悪の恐ろしさを教えてくれる。








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