今朝の体重68キロ。風邪気味で勉強は進まず。
さて、
どこかの首相もそうだが、地方都市の市長もあまり長く続けさせるとつけあがるばかりでおかしなことばかりするようになる。トリエンナーレには世界から新進気鋭のアーチストが集い、様々な表現を駆使して時代を投影させようとしている。そしてそれを鑑賞する我々も、国籍を超えて新たな認識、新たな知識を獲得できる。少なくともここは政治家が思想信条や感情であれこれことを述べる場所でもなく、指図する場所でもない。
残念なことに、目的の作品はなかった。
そしてさらに、この問題をきっかけに展示を拒否したアーチストが連名で「表現の不自由」についてメッセージを書かれていた。ここに書かれている作者のキム・ソギョンさんとキム・ウンソンさんのメッセージに我々は対峙しなければならない。キムさんが言われていることが間違いなく正しい。
あの下品なバカが、指図し、主催者とプロデューサーがこれに屈した理由が、世間の一部からの脅しがあったと聞くが、これはむしろその脅しをしている輩に対処するべきであり、作品の展示を中止するいわれはない。むしろこの作品の目的が”不自由さ”を期待するものなのだから、反対の感情や意見があるのは当然である。しかし排除はいけない。しかもくそな政治家の一言でこのようになることが許しがたい。名古屋の民度が低い理由にはあのくそが存在するのだ。
芸術だけでなく表現することの自由は憲法においても守られるていて、それは外国からの作品であっても同様である。憲法の権利を自ら放棄するような政治家の姿勢を遺憾に思う。
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