高齢の義父が風邪をこじらせて寝込んでいると義母から電話があった。
東京から田舎へ移住して20年以上。今頃になって「失敗した」と言っている。
これからは高齢者の田舎暮らしも辛くなるだろう。
そんな折、たまたまふたつの媒体の紹介を受けていくつかの論文を手にすることができた。
ひとつは「老いの工学研究所」
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研究員の川口雅裕氏の「デンマークに学ぶ、高齢期の住み替えを進めるための条件」という調査研究が面白い。
デンマークというと税金の高い国としても有名だが、福祉にも手厚い国でもある。前提条件として日本とは大きく異なるが、高齢者が無駄に大きな家に住み続けることを回避すべきという点では共通認識を持つべきではないかと思われる。
子供たちがいなくなり、がらんとした大きな屋敷に高齢夫婦が住んでいる、という状態をいわば「不適切な住宅」とし、施設には入りたくないけど大きい家にはとても住めない、という高齢夫婦に住み替えを勧めるというものだ。理にかなっていると思う。
「高齢者福祉の三原則」とは、
1、生活の継続性
2、自己決定の原則
3、残存能力の活用
ということで、介護施設のような画一的サービスではなく、「住まいとケアの分離」を前提とする体制を整えてはどうか、という説だ。
この過程で著者はデンマークに学ぶ2つの点を示していて、
1、適切な高齢者の設定
2、「施設」と「住宅」の線引きを明確化する
というものだ。
1について、日本の高齢者は「助け支える対象」と位置づけられるが、デンマークでは「自立的に生きる主体」とされている。日本の高齢者の概念だと、施設に押し込められるイメージがつきまとうが、デンマークのそれでは高齢者の尊厳が保持されている。この発想が住み替えへとつながっているものと思われる。
2についても同様だ。日本の場合は「施設」という選択肢しかない。だだっぴろいお屋敷に高齢夫婦がゴミも出せずに苦労している情景が浮かぶが、縮小した家に住み替えることで高齢者の尊厳を維持し、且つ「施設へ押し込める」という状態からも解放できるというものだ。
これらを理由に著者は、良質な高齢者住宅の整備と、「元気なうちの早めの住み替え」を積極的に推進すべきだと書いている。
この話題で思い浮かぶのが「シェア金沢」だ。ここには高齢者だけでなく、近くの大学生や子供たちが出入りして、高齢者だけの施設という印象がない。
デンマークの例えもそうだが、高齢者の尊厳を維持し、という点も含め家族の在り方などについても考えを改める時代に入っていることは間違いあるまい。
それにしても日本の戦後70年は、団塊世代を筆頭に、成長社会の中で肥大化し、人口減少社会で肥大した空間を埋められずにいるように思える。社会の役に立たない年寄りを施設に詰めこむ、という日本型の現実も、こうした資本主義成長社会の反動であり、多くの分断を呼び起こしたといえるかもしれない。
資本主義経済の矛盾はいたるところに蔓延している。
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