映画鑑賞後、高島屋でジュエリーの補修を受け取って金山に戻り、小雨がぱらつく中、そこらへんでひろったぼろ傘をさしてスシローに向かう。何度も来たスシロー。この日はシャリを控えめにする。
まだ待ち時間もほとんどなく席につける状態で、ささやかに晩飯気分だ。スシローは頻繁に特集を変えるから楽しい。
まだ待ち時間もほとんどなく席につける状態で、ささやかに晩飯気分だ。スシローは頻繁に特集を変えるから楽しい。
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この日のメインは寿司ではなくてしらすの混ぜそばだ。
もともとジャンクなこの混ぜそばだが、これはなかなか上品な油を使っているようで、思っていた以上においしかった。混ぜそばは油が命だ。油の質が低いとジャンクそのまんまとなりがっかりする。
それにしても・・・
この日見た町山智弘さんの解説付き『風と共に去りぬ』を見て、家で町山さんの解説を再度読み取ると、アメリカの南部、アトランタから中継の回があってこれぞまさに『風と共に去りぬ』のゆかりの地であることの認識を新たにする。思えばこの映画の冒頭シーンで、スカーレットが若い兵士2人を前に「戦争、戦争っていいかげんにして。」と嫌気をさすシーンがあるが、実は戦争なんて見えないところで進行しているのだ。この映画も平和なのは最初だけであとは戦争でずたずたになる人間関係を延々と描いているのである。
そしてリンカーンの時代に始まった戦争は、北軍(ヤンキー)の圧勝で終わるが、実はこの頃の北軍は共和党で、南軍エリアが民主党だったという。信じられないことに現代と正反対の政治対立だったのだ。公民権運動のどさくさで共和党のリベラルな方針を民主党(ジョンソン大統領)が丸ごと飲み込んで政権を逆転させてからアメリカの地域的な政党支持が入れ替わったらしい。
この前にマイケル・ムーアの『華氏119』をDVDで見たのだが、この映画は必ずしもトランプを誹謗する映画ではなかった。むしろトランプを大統領にせざるを得ないアメリカの裏側に食い込んでいる映画であり、オバマ大統領の猿芝居なども映像化されている。こうを見ると何を信じていいかわからない。
これらはどれも外から見たアメリカ、客観視したアメリカであり、マイケル・ムーアが絶対に正しいとも言い切れないだろう。しかし我々日本人はいま、大丈夫か?と自問したくなる。先ごろトランプをおもてなししたことが強調されているが、世界各国の報道はこれを冷ややかに見ている。日本がポピュリズムに進んでいる現状を冷静に見ている。中国や韓国も危険を察知している
知らないのはどの時代もその国の国民だけなのだ。
この日のメインは寿司ではなくてしらすの混ぜそばだ。
もともとジャンクなこの混ぜそばだが、これはなかなか上品な油を使っているようで、思っていた以上においしかった。混ぜそばは油が命だ。油の質が低いとジャンクそのまんまとなりがっかりする。
この日見た町山智弘さんの解説付き『風と共に去りぬ』を見て、家で町山さんの解説を再度読み取ると、アメリカの南部、アトランタから中継の回があってこれぞまさに『風と共に去りぬ』のゆかりの地であることの認識を新たにする。思えばこの映画の冒頭シーンで、スカーレットが若い兵士2人を前に「戦争、戦争っていいかげんにして。」と嫌気をさすシーンがあるが、実は戦争なんて見えないところで進行しているのだ。この映画も平和なのは最初だけであとは戦争でずたずたになる人間関係を延々と描いているのである。
そしてリンカーンの時代に始まった戦争は、北軍(ヤンキー)の圧勝で終わるが、実はこの頃の北軍は共和党で、南軍エリアが民主党だったという。信じられないことに現代と正反対の政治対立だったのだ。公民権運動のどさくさで共和党のリベラルな方針を民主党(ジョンソン大統領)が丸ごと飲み込んで政権を逆転させてからアメリカの地域的な政党支持が入れ替わったらしい。
この前にマイケル・ムーアの『華氏119』をDVDで見たのだが、この映画は必ずしもトランプを誹謗する映画ではなかった。むしろトランプを大統領にせざるを得ないアメリカの裏側に食い込んでいる映画であり、オバマ大統領の猿芝居なども映像化されている。こうを見ると何を信じていいかわからない。
これらはどれも外から見たアメリカ、客観視したアメリカであり、マイケル・ムーアが絶対に正しいとも言い切れないだろう。しかし我々日本人はいま、大丈夫か?と自問したくなる。先ごろトランプをおもてなししたことが強調されているが、世界各国の報道はこれを冷ややかに見ている。日本がポピュリズムに進んでいる現状を冷静に見ている。中国や韓国も危険を察知している
知らないのはどの時代もその国の国民だけなのだ。
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