このあたりが繊維街として賑やかだったことを今はまるで想像できない。しかし確かに繊維を印象づける
名残りはあちこちにある。
少し前に
一人で散歩した地下街なのだが、なんと昭和32年から営業所しているようだ。
数カ所ある入り口を下ると、気が遠くなりそうな地下道が延々と続く。と、言っても大阪の
船場センター街に比べればたかが知れている。
なんとなくここを再生させようという意気込みを感じられるのだが、いかんせんやることが中途半端なこの街なので、ここもその類に漏れず。
中途半端な昭和の名残りを感じる通りなのである。そもそも日曜日に閉める商店街なんて聞いたことねえし。
(=^ェ^=)
ライオンズは中日に3連勝。
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