猪木武徳先生が去年、本を出されたらしい。
経済社会の学び方

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「なぜ」を問い自ら考える 「人間研究」が重要に

「複雑で予測できない世界、経済社会の変化にどう向き合えばいいか、いま何が重要なのかが問われています。論理的には、コロナ危機や気候変動は人類共通の試練ですから結束するはずですが、むしろ分断が進んでいる。社会や国家間の利害が一致しないのです」

「民主主義、市場メカニズム、技術革新にはいずれも個々人をバラバラにする力が働きやすい。その結果、社会の公共性への感覚、他者や未来への意識が希薄になってしまう。地域社会が崩れ、一緒に何かをするという精神も弱まって来る

「もうこれしかない、という断言口調には要注意ですね。経済社会の動きを説明する理論を見つけても、そのまま現実の問題に適用することはできない。『抜本的改革』という掛け声はあまりに楽観的、短絡的です。我々の知識が不完全であることを考えると、一挙解決ということはめったにありません」

「まずやってみて、必ず結果を評価する。利益とコストを比べて、修正と改訂を繰りかえす。粘り強く、試行錯誤によって、社会の問題を『なんとか切り抜ける』覚悟が必要なのです」

日経 経済社会の変化を読み解く から抜粋
上野誠教授の短い紹介エッセイも面白い。
半歩遅れの読書術
本物は意外な顔をしている 上野誠

禅の修行でよく使われる言葉だそうだが、「味噌の味噌臭きは、よき味噌にあらず」という言葉がある。ほんとうによい味噌というものは、「えっ、これがほんとうに味噌の香りなのか」と疑いたくなるような香りだというのである。

洋の東西を問わず、達人の域に達した人の学問というものは、「えっ――」と思わせる意外性がある。猪木武徳『経済学に何ができるか』(中公新書)も、そうだった。万葉学徒の私などから見ると、経済学という学問は、文学などとは関係のない学問だと思っていた。ところがだ。著者は、こんな問いを読者に発するのだ。

本書の続編ともいうべき『経済社会の学び方』(同)には、ヒポクラテスも、津田左右吉も登場するのだが、全編を貫く通奏低音は、ロビンソン・クルーソーの至言である。人間が社会によってしか生きられない動物であることと、いかなる知識をもってしても、未来というものは予想できないということを忘れてはならない。その2つがあるからこそ、人は祈るし、芸術も存在するのだ。

日経 経済学が問う未来と幸福 より抜粋

ほんもの”を目の前にしてもすぐ世の中が変化してするりと”逃げてしまう”。
だから情報に騙されないで、自分の目で確かめる必要があるということだろう。
伊東光晴先生の講義でも同じお話を聞いたことがある。

さて・・・
ではこの記事はどう読み取るべきだろう?

自己肯定感が「低い日本人」「高いドイツ人」の違い 東洋経済より

日本は自殺大国です。15~39歳の各世代の死因の第1位は自殺(厚生労働省「2020年版自殺対策白書」より)。また先進国(G7)の中で、15~34歳の年代で死因の1位が自殺なのは、日本だけ。この世代の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)は日本が16.3人に対し、フランスは半分以下の7.9人、ドイツは7.5人です。

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