少し前の『復活の日』という記事に呼応するように、京都大学の山極寿一学長の短い論文は自分の考えを整理できる内容でもあった。
教授

新たな経済秩序、国際関係、暮らし方の早急な模索を 山極寿一・京大学長
毎日新聞2020年4月28日 

「私の頭に浮かんだのはカミュの「ペスト」でも小松左京の「復活の日」でもなく、「猿の惑星」というSF映画だった。」

曰く、「ウイルスは自身で増えることができないから、生物の細胞に寄生して自分のコピーを作らせ、細胞を破裂させて分散する。」

S・ソダーバーグ監督の『コンテイジョン』では開発行為で行き場を失ったコウモリがバナナを媒介して、それを食べた豚が上海の高級中華料理店で振舞われる、という経路を示していた。

「最も懸念すべきは、この分断によって社会に共感力が失われることである。それは人間と類人猿を分ける最も大きな違いであり、共感なき人間の社会はない。」普通に考えれば『猿の惑星』のように人間が言葉を失うことはないが、この事態ではネットを使ったコミュニケーションが不可欠だという。そのためには、高速回線が必要とされるかもしれない。

「もうひとつの懸念は、コロナ後に各国が猛烈な経済復興対策を取り、それがこれまで以上に地球の崩壊を招くことである。」

そうだ。すでに”猛烈な復興経済”とは、マスク価格の信じがたい高騰やネットの高額取引きで起きている。コロナ後にデフレを懸念する説もあるが、個人的にはハイパーインフレがやってきて、多くの餓死者が出るのではないかと懸念する。



社会・経済ランキング


SeesaaBlogs WordPress muragon ameba rakuten Hatena Kinenote


政治経済
 記事 スポーツ 愚痴 旅行 映画 キネ旬



自分が思いついたのキューブリックの『2001年宇宙の旅』だ。


猿

キューブリックの予言より約20年遅れたが、もはや人間が増えすぎてウィルスを媒介する役割しかもたない。それがコンピューターに人間が支配され、人間自体が生まれ変わるときがきたと認識する。covid-19はその意味でモノリスだ。

モノリス