1889年に書かれたこの作品は、翌1990年に発禁処分となっている。トルストイ61歳。晩年の傑作である。
 ロシア象徴主義的なこの作品の切り口は鋭く深い。

 列車で乗り合わせた乗客が、世間話で一般論を重ねていると、それを否定的に語る老人ポズヌィシェフが現れる。彼は「離婚が増えたのは、教養のある人間が増えたから」であり、本来の教養とは無分別を意味すると言い出す。「野良では馬を信じるな。家では妻を信じるな。」など夫婦間の相思相愛などはあり得ないと断じる。結婚が愛を前提としていることを真っ向から否定し、他の乗客から大反発を受ける。そこで彼は、

 「自分は妻を殺した」

 と告白し、周囲を震撼させる。 
 この後、この物語のわき役である”私”が、この老人の話しを延々と聞く形で進行する。
 彼が彼の妻にプロポーズして結婚するが、すぐさまお互いが険悪になる。結婚は罠のように仕組まれていて、結婚に至るまでは単なる肉欲でしかつながりはない。あとは惰性で生活が続く。この老人はこのように、延々と妻の欠点、あるいは女性というものの愚かさ、そしてそんな女性に肉欲を覚えるさらに愚かな男性について語る。
 結婚とは嫉妬だ。
 と語る彼は、ある時から妻とバイオリン弾きの男との逢瀬を疑いだす。二人が奏でるクロイツェル・ソナタに嫉妬する。彼は出張に出かけるが、途中で引き返して家に戻ると、夜遅い時間にこの二人が部屋で話をしている。それを見て激情した彼は妻を刺し殺す。
 実はこの二人は演奏会の打合せをしていただけなのに、彼の異常な嫉妬心が妻を殺める結果をもたらすのだ。

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ【電子書籍】[ トルストイ ]

 恐ろしきあさましい物語だった。映画もそうだが、自分の年齢とともにこうした文学への感じ方が変わることに気づく。
 ただ、この作品の後半で主人公の中の悪魔と天使がささやき葛藤する場面は、”嫉妬”という心情を見事に映し出していて、若き自分がある女性に対して抱いていた心情が蘇る。
 反面、今となっては、この”嫉妬”は無益なものだと思えるものの、全人類的な意味で広く深い含蓄がある言葉の重みを受け入れることができる。
 主人公の人類(人間)批判は辛らつである。

・男に必要なのが肉欲だけなのを、実は女性がいちばんよく知っている。
・女は皆売春婦で、短期的売春婦は軽蔑され、長期的売春婦は尊敬されるという矛盾に気づかない。
・もともと縁談は99%親が決めるものだった。1%の売春婦が恋愛結婚をし始めた。
・女は自分が選ばれるために皆売春婦となる。
・男は自らの財産を餌に女を品定めする。
・人間にだけ供えられた肉欲。男にとって女性は肉欲の道具。奴隷と同じ。

 これをそのまま読み取ると不愉快になるだけだが、冷静になるとこれが真実であることを認識できる。
 人が一度手にして離せない欲望。男性の女性に対する肉欲。その肉欲を知りながら売春婦のようにふるまう女性。
 つまりは、人の欲望が何かに促されて浮遊していることをも暗示させる。ここでは男女の肉欲と嫉妬を示しているが、アルコールであれ、ドラッグであれ、ギャンブルであれ、ゲームであれ、依存症と名の付く病癖の源は、人間の知性によるものであることが明らかとなる。買い物にいって余計なものまで買ってしまう心理も同じだ。我々は自分が本当に欲しいものではなく、欲しくないものでも買わされてしまう欲望に満たされているということなのだ。

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夏の旅行で久しぶりに文学に接することができた。
本質に迫ることはできないが、時代を超えて捉える内容が変化することも実感できてよかった。

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昨日
朝、ヨーグルトにリンゴとキウイを半分ずつ。
昼、レタスに玉子焼きとベーコン2切れ。
夜、久しぶりに満腹になろうとさとうのごはんに納豆をかけて、インスタントの焼きそばを食べようとしたが、よく噛んで食べてたら途中で食べきれなくなった。
今朝も63キロ。

昨日からダーリンは里帰り。1人でテレビを全くつけずに過ごしてみた。静かなアパートは不気味なほど。でもくだらないテレビ見るぐらいなら静かに過ごすのも悪くない。
(=^ェ^=)

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